今の自分を見せる。それでいいんだよ。

先日、先生に聞いたのです。

展示する意味ってなんだろう?って。


そしたら、生き様を見てもらうためだよって。

この一年、自分はこんな風に生きました。と。


私はいつも、まだまだ、まだまだ・・・!と思って足踏みをしてしまう。

でも、

まだまだもっと上手くなったら・・・なんてそんな日なんて来ないんだよ、

自分の『アルバム』でいいんだよ。

って言われて、

ああ、そうか。

って、私の中でストンと言葉がお腹に落ちてきて。


昔のトラウマのせいでしょうか。

一時期ずっとずっと自分を否定されていた時期があったから。

きっとそこが足を引っ張っているんでしょう。

失敗をしたら怒られるのではないか。と。

では、誰に?って。

冷静に考えれば、怒鳴ってくる人はいないのです。

何も痛い想いはしないでいいのです。

そもそも、失敗ってなんだろう?

作品たちは稚拙、未熟はあっても、失敗は、ないんじゃないかと。

そのときは私は必死で技術を得ようとして、そのときの最大限のことをして、

想いをたくさん込めて作っているのだから。

私の人生の一部なのだから。

失敗は、ないよね。


過去作品は、未熟な点が浮き彫りになっていて、私は恥ずかしいと思ってしまうところもたくさんあるのだけど・・・。


大丈夫、大丈夫。

これは私のアルバムだから。

私の人生の軌跡のひとつだから。


でも、たまに、そこに、自分はいるのかしら。とふと思います。


きっと、小さい小さいかけらのような自分がいるのだと思います。

いつか、「私が!私のために!私のためだけの!」と言える作品ができるのでしょうか。

なんか、どうしても違う気がするのです。

どうしても、前に前にと出るよりも、後ろから誰かを押してあげたくなってしまう。

どうしても、自分の主張をするよりも、それなら、一緒に「楽しい」を追いかけたくなる。


精神的に大人になりきれていないのかもしれません。


ただ・・・


こうであらねばならぬ、というよりも、

私は、作品を作ることが、楽しくてしかたない。


今は、それでいいのではないかな、と。

写真というツールで、作られる世界は、私が幼いころから求めて求めて求めていた世界。


祖父も母も姉も、従妹も素晴らしい絵を描く環境に生まれたのに、才能のない自分が、

そこで闘いたくなくて逃げてしまった絵の世界。

学ぼうとすらしなかった。

でも、本当は、私もそこに入ってみたかった。

でも、戦っても負けてしまうことは目に見えているような気がして怖くて。

今思えば、それは自分自身との闘いだったんだろうな、と思います。

本当は才能が必要なのではなく、努力と根気が必要だったのにね。

そこから、逃げてしまったのだよね。


写真は、私が本当はやりたかったことを、叶えてくれる大事なツール。

もう逃げようなんて思わないし、逃げられもしない。

どっぷりとはまってしまって抜け出しようがないのだから。













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