第77回現展 出展 『血脈』

自分のヌードを作品にすることに抵抗があったのかというと、まったくありません。

0です。

恥ずかしいとかも全くないです。


なんとなくヌードになったわけでなくて、目的があって、どうしても必要だったので。

尊敬する先生の受け売りですけど、ヌードってその人の魂だから。


それに、作品にしようと思ってセルフポートレートを撮ってると、自分なのに自分でなくて、

感覚的には商品のワインボトルを撮っているときと変わらないんです。


まあ、お母さん業もやってるので、とりあえず子供たちには話はしました。


それこそ『おまえの母ちゃんでべそ~」的に(でべそじゃないけどさ)言われたりすることあったら悪いかなーって。

子供たちがいやがったら考え直す・・・ことはないけど、まあ、ごめんよーぐらいは言っとこうかなと思って。


そしたら、


「写真のことでどうこう俺たちは言えないし、お母さんは結局やりたいようにやるでしょ(笑)だから、いいんじゃん?」


と素晴らしいお答えが。


母についてをよくわかっていらっしゃいます、息子殿たち。

良き良き。

この子供たちとの距離感が素敵で心地いい。


写真の解説…というか説明みたいのは始めて書くのかもしれません。

それくらい、思い入れがあります。

第77回現展 出展 『血脈』 高橋フミカ





人は誰しも宿命をもって産まれる。

自らの手で選び、作っていくのは運命。


生きていくうえで重なっていく時間、経験。

そこに付随してく自らの思考、想い。

喜びも苦しみも、さみしさも、楽しさも。

それは、刻印のように、まるで模様のように魂に刻まれていく。


時にそれは穢れのように体を這う。

時にそれは闇に紛れるための自分を守る隠れ蓑ともなる。


首の枷は逃れられない宿命。

持って生まれたもの。生まれた時代。

自分の力では変えることのできない環境。


それが艶やかな装飾品であると思いこんでも、

ふとした瞬間の人生の衝撃でそれはすぐに錆びついた鉄枷になる。


そのたびに、前を向く。上を向く。

首に巻きつく逃れられない宿命を、

誇れる装飾品とするのか、

苦しく重い血のような匂いのする鉄枷にしてしまうかは、自分次第。


私に、生きろと言う人がいる。

何があっても、だからこそ生きろと言う。

それをバネにしろと言う。


上を向け。

凛とあれ。

魂の刻印に埋め尽くされるまで。

命尽きるまで。


そういう、作品です。


そして、私はきっとそうするでしょう。

生きることを諦めないでしょう。

諦めるなんて、そんな無様な姿を子供たちに見せられません。


強くなくても、弱くても、どんなに不格好でも、

生き様は美しくありたい。


いつか絶対に人は命を終えるんだから。

終わりがあるからこそ、私たちは必死に生きてるんだから。

生きることって、きっとみんな、そんな簡単なことではないから。

だからこそ!毎日は楽しく!(笑)


・・・っていうのを、本当に子供のころからずっとずっと考えてて、

そういう考えていたことを、まだまだですが、作品で少しずつ表現できるようになって、

やーーっと息ができるようになったような感じです。

幸せです。

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